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黒薔薇の話、そしてヒカセンの死因勝手に考察タイム
#自機語り #光ラハ


先日、ヒカセンが旅立つ前の話を考えるというとても素敵なX企画に参加させていただいたんですけど
どの方の作品もオリジナリティというか、一次創作のいいところが詰まってるなぁという感じがして今でも思い出してはニヤニヤしています。
その企画の中で、テーマとして「ヒカセンの過去、冒険に出る前の前日譚」のほかに「ヒカセンが冒険者を辞めたあとの話」も候補として用意されていました。
私は残念ながら前者のテーマについて話を考えることで精一杯だったので提出したものを絞ったのですが
今考えると考えられる要素たくさんあったなぁと時々妄想に耽っています。

私の中で最近好きで考えていることは
自機であるアスランの「死に際」についてです。あまりにも物騒ですみません。
具体的には、自分のキャラが単なる老衰とかではなくもしも誰かを助けようとして途中で斃れてしまったらというIF上の話ですね。

もちろん私もハッピーエンドが好きなのはそうなんですけど、私としては「こういう時うちのキャラはどうするかな」とさまざまなシチュエーションを想定して考えることで世界観を広げている感ありまして、なのでこれもその一環というか、すみません趣味なんです。

個人的に、英雄の冒険は続いていくというフレーズが好きすぎるし、うちの子には無限の可能性を与えたいので、自分のキャラが老いて死んでいく様は今のところ正史では一切考えたことないし、老衰で死ぬのか冒険の途中で敵の攻撃で死ぬのかとかも全然考えたことないです。
そもそもサザエさん方式なので今のところ年齢経過についても目を瞑ってますし・・・
なのであくまでそういう世界線があったらって感じなんです。

エオルゼアだとストーリー的におあつらえ向けな世界線ありますよね。第八霊災があったとされる未来の原初世界です。
漆黒ではその未来でヒカセンは帝国と戦いの渦中で使われた黒薔薇の脅威により死んでしまうという話がされていました。そんなヒカセンの死後の世界でグ・ラハは目覚めて過去に飛ぶことになってました(・・・そうだよね?;)
いや、考察とは名ばかりで私が単に妄想するための前座として整理がてら書いてるので間違ってたらすいませんって感じですけど。

第八霊災があった時系列のヒカセンは少なくとも黒薔薇が関与した要因で斃れたんだよな〜となった時に、どんな最期を迎えたのかは個人的に妄想のしがいがあると思いました。
だって今のヒカセンはそれを回避したからこそ黄金のレガシーを謳歌してるわけなので、あくまでIFだからといくらでも妄想できる。
あっちの世界線では死は確定してるぶん、そこには千差万別の「死に様」があっていいと思う。
その上で自機であるアスラン君はどんな死を迎えたのか・・・ストーリーを考えるという意味ではすごく楽しいんですよね。

まず考えることとして黒薔薇が即効性のある毒なのかどうかという部分でしょうか。この辺って記載ありましたっけ・・・
なにぶん黒薔薇の記述ってあっちこっちにチョイ出しされてるからどこで話されてたか漆黒のメイン以外は曖昧で・・・。
まぁ明記されてないていで考えた時に即効性ならその場で死ぬかもしれないし、遅効性なら安全な場所に避難した後でじわじわ弱っていくのかもしれませんね。

今までのストーリーでヒカセンと毒については毒殺の冤罪だの和平の妨害だの、そして帝国の兵器である黒薔薇もですがちまちま描写されてますけど、そう言うの見てるとヒカセンって強いけど毒に関してはなす術ない感あるよなってのが受け取り手としての所感です。
コンテンツ内での一時的な毒とかはDoTとして時間経てば消えたりしますが、あくまでコンテンツ内の演出上の話なので普通に物語として戦ってる上でデバフの危険度って高い低いあるんだろうなと言う感じでいます。
(麻痺より毒の方が深刻かなぁ的な具合)

即効性の毒はいわば零式のフィールド外側の即死エリアと同等の危険度扱いかなって。

話を戻しましょう。
即効性だろうと遅効性だろうとどうにかこうにか解毒したり、それこそヒカセンならコエチカで自分の生命力でどうにか耐えるかも・・・?
後遺症が残ってじわじわ死に近づいていく可能性もありますよね。
考え方は色々あると思うんですけど、あくまでわたしの世界観的にアスランにさせるなら、コエチカで毒を気合いで耐えてるみたいなのは非現実的すぎる気もしているから、致死量でないにしても毒を受けてしまいじわじわ数日単位で衰弱して死に至るのが猶予も若干あって話を作る上で都合がいいなとか思ったりしてます。
あくまでうちの世界線の話ね。

風の谷のナウシカが腐海の奥地でじいちゃんたちを落ち着けるために微笑んでマスク外して「荷を捨てなさい!」って言って少し肺に入った・・・ってなった程度の少量?(でも黒薔薇は十分死ねる、みたいな)

一つ言えるのは、少なくとも致命的なダメージを負っても動けなくなるその時まで「誰かのために必死で戦い、生きている」といいなと思います。
今更ですけどこういうのって古代世界でアゼムが終末の災厄が起きた時に何してたの〜って話に公式がヒカセンそれぞれのイメージがあるでしょ?みたいに言ってるのと同じというか
いわば答えを出すだけ野暮な話なんですけど、それを分かった上で書き出して見るのも一つの楽しみなんですよね個人的に。

例えば誰かを助けて、庇って、それで致死量でないにしても毒を被ってしまい、じわじわ弱っていき、拠点かどこかに着いた時に血を吐いて倒れて寝込んだり・・・
それで長くうなされ昏睡していたあと数日経ってふと目が覚めた時には冒険者として全盛期の力を振るうことができなくなっていた・・・みたいな。
個人的にはTOAのルークがレムの塔から帰還した後のノリに近いかも。

死ぬと思ってたのに九死に一生を得て最高に「生きてることの尊さ」を実感してたのにその矢先に結局は死期が迫ってることを知って「そっか死ぬのか・・・」ってなってる主人公の悲壮さが癖。
その分残された時間に自分の精一杯を費やそうとしてるみたいなのが健気でいいんですよね (にっこり)
ルークフォンファブレは万病に効く。

けどうちの子は一応英雄なので、そのまま毒に侵され他人に看取られるだけでは悔しいなって思うので、そんなボロボロの状態になってなお人のいない時を見て起き上がって、黒薔薇を発動させてる機械の一つを自爆覚悟でぶっ壊しに行ったりして。
そうなると遺体もないから生きてるか死んでるかすら不明だし、彼が使ってた武器とかだけが落ちてたりしたら、激エモ。

看病してた人は瀕死のはずの英雄が忽然と消えたベッドを見たら顔面蒼白でしょう。
けどうちの子はオスッテでもあるので、猫は死ぬ時は人のいないところに行く・・・みたいな話も聞きますし、他人の目に触れない死に様はなんとなく解釈に合うかなと思いました。


第八霊災で死にゆくアスラン君が最後に思い浮かべる人は誰だったんでしょうね。
きっと誰でもなく前だけを見てたのかもしれない、いやけど走馬灯のようにたくさんの人が思い浮かぶのかも。
だとしたらその中にはグ・ラハもいたでしょうね。
その時には言うと思います。
「・・・俺の名前、お前なら見つけてくれるよな」

とまぁ、そんなことを思ったりな妄想でした。


ふと、動画サイトで生き物の数え方を覚える時は死んだ時に何が残るかを考える・・・みたいな話が流れてきました。
人間の数え方は一人、二人の他に一名、二名といった言い回しがあるので、さっきの考え方で言うなら人は死んだ後にその「名前」が残るってなります。

うろ覚えですが昔子供の頃に持ってた数え方辞典みたいなものに書いてあったかもなぁ、とか思い出したりしました。

たとえ家があっても、そこに無数の生活感の漂う遺品が残っていても、それらはいずれ風化し、撤去されてしまうでしょう。
けどアスランが人々に与えた希望の灯火は残り、救われた人たちが彼の「名前」を伝えていく
・・・・・・そういうの、シンプルにめっちゃいい話やんって思いました。

うちの子、ことアスラン君については冒険者として移動しやすく後腐れのない身軽でシンプルな生活を好んでいます。
彫像も豪邸も記念碑も要らない、ただそこには精一杯生きた冒険者としての名がある。それでいいと思っているのかなと。

それはそれで潔くて美しいけど、残される人にとっては悲しい感じがしますね。

あ〜〜、でも、その死生観をラハが知った時に
「まるでいつ死んでも後腐れないようにしてるみたいじゃないか・・・」って切なくなって、物理的に何かが残るものを必死にアスラン君と作ろうとするのはいじらしくて可愛いですね(突然の光ラハ)

けど、「俺は死なない」っていくら言っても世の中どうなるかわかりませんからね。
現役冒険者が繰り返すには空虚な言葉かも。
いやまぁ「俺、最強だから」って言って本当にそうなるタイプの五条悟みたいな感じなら分かるし、ヒカセンもそれと近いけどさ。
でも死なないのと死にそうになって生きてるのは受け取り手の心労にだいぶ差があると思うから・・・
だから複雑そうに微笑みながらアスラン君はそんなラハの挙動を受け入れて、好きにさせるのなもなだ思います。


雑記


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