Other
陰に潜む

穏やかに訪れた夜の帳
人気は無く、まるで静寂を絵に描いたような闇の世界。

妙に頭が冷えていて、いつも以上に風の音が耳に響く気がする。
風は同時に鼻先に生温かい血と錆の匂いを広げたーー
痛みはあるが、膝をつくほどの傷ではない。
足元に滴る赤黒い血溜まりに立ちながらそんなことを考えていた。

その間も月明かりはなお優しく微笑み、それは目の前で意識を失う人物にも降り注いでいる。
その者も負傷しているが、致命傷ではないことは確認出来ていた。
我ながら戦う際の手加減が上手くなったものだと、物騒な感想が浮かんだ。
変装こそしていたが、その額の特徴的な第三の眼を見れば、襲撃された理由は自ずと察することが出来る。

「悪魔め・・・」
襲撃された際に吐き捨てられた言葉を反芻する。
拠り所を失った絶望は形を得て世界を蝕んだが、その根源が過ぎ去った今、恨みを形にするのは他でもない人そのものの意思に他ならなかった。

どれほどの功績を成し遂げようと、過去の恨みを簡単に清算ことはできない。
これは紛れもない、かつての自分の行動が招いた結果であり、ゆえに相手を責める気もなければ怒りもなかった。
ただこの者より自分が強かった。それだけだ。
・・・強いて言えば、この現実になんの恐怖も抱かない己の変化に少しだけ皮肉めいた笑みが溢れそうになった。

ふと、自分を慕う愛しい表情が脳裏を掠める。
親しみと憧れをもって、名を呼び無邪気に笑う彼が・・・今の自分の姿を見たら、どう思うのだろう。
自分を慕う者達は皆聡明なので、彼もこの結果は勿論予測はできているのだろうが、きっと自分以上に哀しい顔をするかもしれない。
それだけは・・・見たくない。
愛する人達が悲しむ姿を見るくらいなら、自分はいくらでもこの身を血に染めるだろう。
それを隠匿する覚悟だって、とうの昔に出来ている。
知られなければ、"こんな事件は起きてすらいない"のだから。

きっとそんなことがこの先にも増えていくのだろう。
それが、他人の未来を少なからず奪っておきながら、それでも自らの大切な者の笑顔を守りたいと願うこの身が背負う業であり、紛れもなく・・・それが生きているということなのだ。

そうして自分は月明かりに背を向けて宿へ戻って行く。
疼く傷は、その間も生の痛みをわずかに叫んでいた。


陰に潜む
BACK← →NEXT(coming soon...)